あげくの果てのyou,your,yours.

推しとすきをめぐる感情について。

誰もが誰かの愛しのポラリス。──2021年Jr.大賞のこと──

 以下に書く記事は、すべて個人的見解です。

 

「愛は消費」という考え方や風潮に、もともと手放しで同調はできない。それに公式が乗っかってきてえぐい商売展開してくるのも、正直勘弁してほしい。

なぜかというと、生活も財布の中身も応援のスタンスもそれぞれであり、それぞれであるべきなのに、消費の額や量が「推しへの愛や熱量」に変換されてしまうことで、応援スタイルの多様性を奪うことになりかねないし、すきという気持ちひとつでファンと名乗れるはずなのに、消費力の有無が邪魔をしていらない負い目を感じてしまう場合さえ出てくるのではないかと思うから。

たとえばグッズで祭壇を作るのも、デタカ並べるのも、CDや雑誌積むのも、どれも愛のかたちとして正しくもあり、正しくもない。そんなの、表現に正解はなく、自由でいいし(本人たちや他人、世間に迷惑をかけない方法で自分の中でやっているのが前提であり、明確に「正しくない応援」があるとしたら、自由だからといって無法地帯さながら人様に迷惑や損害を与えてしまうことをそう呼ぶのだろうと思います)、強制をしたくもないしされたくもなかった。

だからJr.大賞についても、たかが雑誌の一企画だから重視するしないも、興味のあるなしも参加も、感じ方はそれぞれだし、やりたいひとがやりたいようにやるんだろうと思っていた。実際にこれまでだって、誰担にかぎらず積むひとは積んでいたはずだし「お金出したもん勝ちランキング」という側面も少なからずあったはずだ。表向きがどうであれ、そういうふうにある程度共有されているのだろうって、わたしはそう認識していました。

なのに今回のJr.大賞の結果について、「トラ担はBBAで金がある」みたいなことを一部で言われちゃうのはちょっとな~~というか、これが本来の人気順だと傲るつもりもないし思ってもいないけれど、モヤってどうしようもないのであえて書いている。年齢にネガティブさを纏わせて確信犯的に傷つける、そういう言葉でこの結果を評するのは、ナンセンスでちょっと穏やかじゃないなって、びっくりした。

 

多くのトラ担さんはともかく、わたしはたしかにじぶんで言いたかないけどおばさんだし、社会人も10年以上やっているから多少は自由になるお金もある。石油王になるのはさすがに無理だけれど、あの雑誌祭りのなか、Myojoを積むこともできなかったわけじゃない。いや、あの祭りは実際えぐかった。無理はしてる。ふつうに。

そもそものはなし、Jr.大賞は残酷だなって思っている。

たかが(二回目)あまたにある雑誌の中の一企画の順位であって、明朗な人気ランキングでもない。けれど「恋人にしたいJr.」で1位を獲った子はほぼデビューをしている事実もあるがゆえ、毎年時期になると一部でざわざわしている。アイドル側も気にする子は気にするし、毎年じぶんの順位がはっきりわかるのでしんどい面もあるだろうなって。

誰しも、推しはかわりのきかないいちばんであり、こうしてランキングをつけることそのものがナンセンスなのかもしれない。いつだって推しだけが輝いて見える道しるべだし、その存在が人生を前進させてもいく。MyojoのJr.大賞で何位であろうと、じぶんにとって宇宙で1位という事実は譲れないし、この結果がどうでも、なにをも揺るがすことはなく、むしろそのほうが価値があるとすら思う。

だけどわたしは、一雑誌の企画とは言ってもひとつの指標になりえるのではないか、と考えているので、トラ担になってからは毎年参加している。「愛は消費」を嫌いつつ、Jr.大賞をがんばる行為はひどく矛盾していることはわかっているけれど、今年、わたしは過去一投票用紙を書いた。

というのも、正直に言うと、序列っていうのかなあ。Myojoにおけるそういうの、トラジャは低いんだなってずっと感じていた。今回はともかく、ジュニアのグループの名前が書かれている順番、Hi美ちゃんたちよりうしろだったし(いや、それで言ったらなにわちゃんの名前の順番どうなるんだって突っ込みあるかもしれんけど、なにわちゃんはHi美より先に表紙やったから)、単独で表の表紙を飾ったこともない。こういうのはきっと、Jr.大賞の結果が反映されているんだろう、と、雑誌側からそういう判断を下されているのだろうとわたしは思っていた。そりゃどこもそれぞれ勢いと個性があって魅力的だから当然だとわかるし、誰を好きかはわたしが決めるけれど、どこが優れてるかを考えるのはわたしの役目じゃないし、まあMyojoの考えなんだろうって勝手に思ってただけだけれど。

それにもうひとつ、一昨年から去年の動きを見ていて、本当に今回が最後のチャンスかもしれない、ここでがんばらないと本当に終わってしまうかもしれない、となんの根拠もないまま、だけど、どうしようもない予感をともなって、わたしは焦燥に駆られていた。ソロコンも単独ライブもして舞台もして、雑誌にもテレビにもたくさん出られるようになったし、本人たちもがんばっていたけれど、なんというか、それだけではどうにもならない大きななにかがやっぱりあるかもしれないと、本人たちの言葉の端々からその影響を感じることを止められなかった。もちろんこれはわたしの受け取り方もある。ネガティブになる必要がないところでネガってしまっていた可能性もあるにせよ、あの夏の無料配信あたりで、自担は確実に病んでいたし、本人も「じぶんはこのさき何も残せないかもしれない」と思うところまで落ちたと、あとで言及していたように記憶している(言い方はニュアンスだけど、それでも配信はじまったらそれもぶっ飛んでがんばれたとも。一生すき。)。

ジュニア担である以上、あるいはジュニアでなくても、アイドルはいつ終わらないとも限らない。前回のエントリーでも書いたけれど、推しが毎日健やかに生きていることを切実に祈る時代──事実、わたしの推しはコロナにかかって、今回は戻ってきたから良かったものの、長かったからとても心配した──、たとえば健康であったとしても、コロナ禍における活動の幅の狭さがモチベーションに影響するかもしれないし、そもそも彼らのものである人生の選択に触れることはできない前提も含め「永遠のなさ」を感じる濃度は、より深まったような気がしてならない。そりゃ100年後にはここに生きる誰もが宇宙の塵芥だし、いつかはふたりも星屑になるけれど、それでも、目の前で爆ぜてしまう瞬間をできれば見たくはない。アイドルを推す行為は、その刹那そのものを内包しているがゆえにいっそう尊いことを理解していても、それをどうしても止めたかった。かたちにしてなにか示したかった。ファンレターを書くとか写真を買うとかつべを回すとか、それだけじゃなくて、この界隈において「公式」と呼べるなにかで、はっきりと目にみえるかたちにしたかったから、投票をした。べつに上位にはいったからといってデビューが確約されるわけでもない。それでも、わたしはわたしの星を守りたかった。

デビューがすべてじゃないこともわかっている。CDを出さなくたってエンタメの世界で生きていくことはできるし、活躍の場所はたくさんある。デビューとは呼ばなくても、今はサブスクをさらっと解禁してオリジナル曲の音源を発信していくことも可能だろう。

まだまだ進化をつづけるすてきなグループなのは事実だけれど、トラジャ自身もっとできることはあるはずだし、超えなきゃいけない壁だってある。これからはきっと、これまで以上に突出した個性を持つことが強さにつながる時代だろうから、トラジャのダンスやパフォーマンスは武器のひとつにはなるとしても、課題だって残している。もうどうしたらいいんだろってほんともう正直勝手に泣きそうになるときもある。それでもね。本当に、壁を超えるための自信のひとつになってくれることを願って書いた。それが正しくても正しくなくても、わたしがそれを選んだ、それだけのことだったんだけどな、とネガティブな言葉の群れを眺めながら思った。

 

この結果が、家に積まれたMyojo以外なにも残さないかもしれないし、2021年の結果としては残っても、長い目で見れば今描いているような未来に結実はしないかもしれない。彼らを信じるとか信じないとかそういうのはべつにして。今年の投票がはじまってから、自担はひとこともJr.大賞についてwebで触れなかったし、去年とちがって「恋人にしたい」で1位になりたいって結局さいごまで言わなかった。どう捉えていたのかは正直わからない。それでも結果的にwebで喜んでくれたから、ただ、その喜びの一部になれたことが、今はただ、とてもうれしい。

 

 

 

 

 

 

stay beautiful.─Travis Japan『ENTER1234567』のこと─

去年の夏、美しい星に墜落した。

とてもやさしいその場所は居心地がよく、つい住みついてしまい、もう1年が経過しようとしている。

新住民なのでたいしたことはきっとなにも言えないけれど『ENTER1234567』については書きたい。 感情が巨大すぎていつか暴発してしまうまえに。

美しい星、とは、ジャニーズJr.のTravisJapanのことである。
そして『ENTER1234567』は9.26と9.27に開催された彼らの単独オンラインコンサート。
延期の末、9月に開催予定だった公演についての結果はわからずじまいだけれど、もともと予定されていた春の公演には参戦できるはずだった。もちろん生で観られたらいちばんよかった。でもそれは望めない世の中で、彼らが作り、見せようとしてくれたものを観る機会があったことはとても感謝している。

ちょうど一か月前に、関東のジャニーズJr.が集った無料配信ライブがあった。
今回まず度肝を抜かれたのは、そこからたった一か月のあいだにトラジャがさらに進化を遂げていたことだ。

インターネットに関しては何周も遅れていたジャニーズが、ネット配信をはじめてくれたことで、本来ならすさまじいチケット争奪戦が繰り広げられ、観られない可能性が高い彼らのコンサートを何度も観る機会にめぐまれた。
この単独配信に至るまでに、今年はチャリティのための「Happy Live With You」やソロコンサートだった「Summer Paradise」、そして先の無料配信があり、トラジャのパフォーマンスはそのたびに進化し、強くなっていつも眼前に現れた。
まだ情報局のダイジェスト動画があったころ、そこにあったすべての動画を順番に観て、トラジャの表現の幅の広さに魅力を感じたことが、彼らをすきになるきっかけのひとつだったのだけれど、幅はさらに広くなったように感じる。多面体のように、いろいろな曲でいろいろな顔ができる彼らのあたらしい顔を、幾度も見せてもらった。

彼らの進化を見たい、未来を見たい、という願いそのままに、ものすごいスピードで変体していくさまは、気を抜くと置いていかれそうだとすら思うくらいに。

誤解を恐れずに言えば、舞台や先輩のバックで目にしていたころ、トラジャはダンスは抜群にうまかったけれど、Jr.の中でも控えめでおとなしいグループのように感じていた。もちろんメンバーが変遷しているというデリケートなところも影響しているのかもしれないけれど、それについて言及することはわたしにはできない。
だけど、今、ついに到達したJr.の最前線に立つトラジャがめちゃめちゃ強いことだけはわかる。去年のサマパラだって、オースティンのライブに出たときだって、虎者だって進化しつづけていたはずだけれど、その比ではない気がする。
YouTubeでのキュートでピースフルな、そしてたまに「幼稚園」と称されるような戯れを眺めているとつい忘れがちだけれど、そういえば彼らは虎だった。
ときに牙をむいて、しなやかに地を駆ける美しい獣でもある彼らは、強くて当然だったのだと思わされた。

 

ただ、ずっと強かったわけではないと思う。


2020年、世界は変わってしまった。これまであたりまえだったことはあたりまえでなくなり、あたらしい空気と習慣がわたしたちの日常を覆っている。
ジャニーズも例外ではなく、一時期すべての現場が消えた。
アイドルとオタクの世界は特殊な世界で、ある意味「依存の悪循環」の図のような側面もあって、狂い続けることで前進している感がある、とわたしは思う。というか、どこか狂っていないと、おたがいこんなこと長く続けられないのではないか、という気がする。
あたりまえのようにあった現場が消え始めた当初、1年にたった数時間しかなかったとしても、それがいかに日々の仕事や日常のモチベーションになりえていたのかを知ったし、オンライン配信がはじまったころも、ありがたいとは思いつつ、ひとが直接放つ感情や熱のうねりがもたらすあの空気が恋しかった。なのに数か月経つと、この状況に慣れてしまい「意外に現場がなくても生きていけるな、オタクやめれるかもしれない」と頭の隅をかすめたこともあった。
アイドルだって、絶え間なく続いてきたコンサートや舞台の場と、歓声の波が消えた世界で、魔法が解けるようにふっと冷えてしまった瞬間があるんじゃないだろうか、アイドルであった自分を保てなくなる瞬間があったのではないかと想像し、とくに彼らはデビュー組と違って、CDをリリースしたり、TVのレギュラー番組があるわけではないので、仕事が一切なくなってしまった期間にものすごく葛藤したのではないかと感じていた。
それでも、トラジャはそれを超えて、強くなって、笑って、アイドルとして前に進んでくれている。ずっとすばらしかった。ちがいないけれど、そのままに、それ以上にすばらしくなって。
電飾で飾られただけの無観客の会場でも、まるでそこに観客がいるかのような、エモーショナルとバイタリティに満ちたパフォーマンスだった(いればもっとすごかったんだろうけど。でもそれもまたこわい)。

すきだったところをあげればきりがないけれど、このコンサートの中で、忘れられないほどの幸福がからだを駆け巡った瞬間がある。
元太くんと一緒に披露した、松倉くんのソロ「The Red Light」のしびれるような空間と空気を切り裂くように、松倉くんがじぶんで「Happy Groovy」のカッティングギターのイントロを弾いた、その瞬間。もともとわたしがトラジャのオリジナル曲の中で「Happy Groovy」がいちばんすきなのもあるけれど、この緩急!

一日目は通信障害があってこの場面を完全なかたちで観ることができなかったので、オーラスしかわからないけれど、ギターを弾く松倉くんを「Today、ギターうちの子や~~!!(そう聴こえた。違っていたらすみません)」とメンバーが笑顔で囲みながら「Happy Groovy」を披露するという光景から伝染した多幸感は、次の曲「ROCK YOU」のメロディに乗って最高のかたちで昇華され、わたしはしあわせすぎて、部屋でひとり、引くほど泣いていた。まじで宇宙 is youだった。すきが爆発しすぎてもう宇宙だった。銀河一すき、って思った。それ以外の言葉で処理できなかった。完全に感情が言葉を超えていた。

わたしにとって、あの瞬間はもう現場だとかオンラインだとかそんな境界は消失していたんじゃないかと思う。

その感情をけしてそのまま着地させてくれず、「Suger」「Face Down」と嵐メドレーでたたみかけてくるのがまた憎いねトラジャ…

 

このコンサートのおわりに彼らは「今度は僕らがみんなを支える、しあわせにする」とか「みんなにたのしく、元気になってもらいたいけど、その気持ちを作ることはむずかしい。でもそんな気持ちになってくれたら、と思ってこのコンサートを作った(意訳)」と語っていた。そんな気を張らなくてもいいんだよ、と伝えたくなる(あと、なんならもう完全完璧天才なまでに作れてました、ってことも)。
もはや、推しが健やかに無事生きてくれていることを、毎日切実に祈るほどシビアになってしまった時代で、しあわせに、たのしく、元気にいるのは今まで以上におたがいさまなんじゃないかと思う。だからこそ、ほんとうに、拍手や歓声をダイレクトに送れたらいいのに…というもどかしさはどうしても感じるし、インスタに感想を送ることはできるけれど、すぐにその場で直接伝えられたらよかったのに、という切なさはたしかにある。

それでも、TravisJapanのみんながたのしんでいたらオタクはたのしくなるし、元気でいてくれているのならそれだけでありがたいのだから、そのままトラジャらしく進んでくれたらうれしい。最高にすてきなコンサートだった。ほんとうに。

 

よく如恵留くんが、世界をやさしくするためにアイドルをしているとか、誰も取り残さないって言う。トラジャが持つ愛とやさしさ、そして肯定と個の尊重に満ちたグループの空気は、きっと遠くないいつか、もっと多くのひとに必要とされる時代がくるとわたしは信じている。

詩を歌声で綴るごとに、涙と胸の叫びが7人のあいだに伝播していくような「宇宙に行ったライオン」を聴きながら、彼らの駆ける果てがしあわせであることを願わずにはいられなかったし、彼らのことをこんなにすきになれてうれしい、と思った。

あなたたちのことをこんなにすきになれて、ただただうれしい。

こんなふうにただ純粋な、にごりもよどみもない、澄んだ気持ちをプレゼントしてくれるなんて、わたしの落ちた星はやっぱりとても美しい。